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お知らせ
銘木ばぁが「朝日新聞」で紹介されました!
【掲載メディア】朝日新聞
【掲載日】2012年4月29日
【タイトル】銘木香るバー貸します 岡山の老舗高級木材店 「飲みながら 魅力感じて」
【内容】
岡山市内の老舗高級木材店の一角が、飲食店風に改装されて貸し出されている。木の香りが漂う空間の魅力を多くの人に体験してもらい、木の魅力を再認識してもらおうという試みだ。
夜、「中塚銘木店」(北区石関町)の倉庫の窓越しに、杯を酌み交わす男女の姿が浮かび上がった。室内にはクリの一枚板を使ったカウンターや、ケヤキのテーブルなどがしつらえている。貸しスペースの名前は「銘木ばぁ」。
市内の会社員市原裕貴(ゆたか)さん(32)は「木の香りが気持ちよく、お酒が進みます」と相好を崩した。
法被姿で「バー」を切り回すのは横田都志子さん(46)。「昼間の顔」は市内に事務所を構える建築士だが、「バーなどの設計を手がけるうちに、自分もやりたくなって」。月に3日、ここを借りてバーを開く。
住宅向け高級木材を扱う中塚銘木店は、展示場に使っていた倉庫内の5坪ほどのスペースにキッチンや食器棚を整え、昨年6月に「銘木ばぁ」をオープンさせた。「ばぁ」は「バー」と岡山弁の「~ばかり」をかけた。パーティーや懇親会にも利用されている。
享和元(1801)年の創業で、和室の床柱などを多く扱うが、近年、和室用銘木の需要は下り坂という。中塚利信社長(55)は「飲食などを楽しみながら、銘木の魅力に親しんでもらえたら」と話す。
利用料は、基本料金2,625円と1時間あたり525円(光熱費など込み)。貸出時間は9時から24時。飲食物の持ち込み自由。ただし利用には原則として紹介者が必要。問い合わせは中塚銘木店(086-225-0755)へ。
(柏崎歓)
銘木ばぁが「山陽新聞」で紹介されました!
【掲載メディア】山陽新聞
【掲載日】2012年4月9日
【タイトル】レンタルスペース「銘木ばぁ」好評
【内容】
岡山市北区石関町のレンタルスペース「銘木ばぁ」が好評を博している。銘木で作られた美しい木目のテーブルやカウンター、食器棚などが配されたユニークな飲食店舗風の空間。落ち着いた雰囲気の中、"バー"や懇親会などに利用されている。
室内は約20平方メートル。カウンターと座敷の計11席あり、クリの木を使った上品な趣の座卓やキッチンカウンター、荒々しい木目が迫力あるケヤキのテーブルが並ぶ。キッチンや電子レンジ、冷蔵庫などもあり、料理や飲み物を持ち込める。
住宅建築向けに銘木を販売する「中塚銘木店」(同所)が昨年6月、調度類を実際に使って銘木の良さを知ってもらおうと開設。名前は「ばかり」の岡山弁と「バー」をかけている。
貸し出しは午前9時―翌日午前0時。利用するには紹介者が必要ながら、今月はバーや同窓会、懇親会など9件の予約が入っている。
オープン当初から月3回借りてバーを"出店"しているのが建築士の横田都志子さん=赤磐市。4日夜も店開きし、ビールやワイン、ウイスキー、日本酒などを用意して5時間営業。横田さんの仕事仲間ら約40人が訪れた。
「バーの営業は夢だった。主に仕事関係者が来てくれるが、訪れた人の中で新たな交流が生まれるのが楽しい」と魅力を話す。今月は17、27日の午後6時―11時にも開く。
中塚利信社長は「バーなどを楽しみながら、使い込むことで味わいが深まる銘木の魅力に触れてもらえたら」と話している。
問い合わせは中塚銘木店(086―225―0755)。
(2012/4/9 11:46)
2011/9/28の日本経済新聞に中塚銘木店をご紹介いただきました!
日本経済新聞に中塚銘木店をご紹介いただきました。
【タイトル】200年企業-成長と持続の条件 173「木に造形美「在庫は宝」中塚銘木店、災禍に負けず」
【掲載日】2011年9月28日
【発行所】日本経済新聞
■記事紹介
大量の在庫を抱えることはマイナスと経営学は教える。だが建築用木材を扱う中塚銘木店(岡山市)の10代目、中塚淳一郎会長は「在庫は宝」と言い切る。「まずモノが無いことにはどうしようもない。うちには50年寝かしてある高級床柱もあるが、別に腐るわけじゃない」と意に介さない。
中塚銘木店がある岡山後楽園西側の旭川堤防一帯は中国山地で伐採してイカダに組んだ杉やヒノキが毎日のように届く材木商の集積地だった。その恵まれた立地に目を付け、初代の利右衛門は銘刀「備前長船」で知られる備前福岡(岡山県瀬戸内市)を出て、現在地で材木商を始めた。
利右衛門は岡山藩の御用商人となり、「津崎屋」の屋号で手広く商売していたが、詳しい資料は空襲で焼けた。「明確なのは利右衛門が亡くなった年。その1801年を創業年と定めた」と淳一郎会長は話す。
事業を拡大したのは7代目・中塚伝五郎氏だった。旧専売公社のたばこ工場建設で木材を大量に納入。その後、日清、日露の両戦争に勝利して勢いに乗る軍が1907年、岡山市に第17師団の設置を決めた。司令部や兵舎、倉庫から病院まで様々な建物が計画され、伝五郎氏は蒸気機関を動力にした製材所を立ち上げ精力的に用材を納入した。
ところが膨大な需要をまかなうために、秋田へ買い付けに行かせた船2隻が台風で沈没、一転して巨額の債務を背負う。岡山市内に60軒近い借家を持ち、その一角は「中塚町」と呼ばれたが、手放さざるを得なかった。師団の仕事に懲りた伝五郎氏は「材木屋とできものは大きくなったらつぶれる」と言い残した。
昭和の初め、婿養子に入った9代目の中塚洋一郎氏は岡山市内に同業者が100軒近くひしめくのをみて、経営の軸足を一般の建築用材から銘木に移した。木目や色が鑑賞的な価値を持つ木材を銘木と呼ぶ。水中や土中に埋もれて長い年月を経た神代杉、ケヤキ、クリ、柿など種類は様々。元の形状を生かしながら製材し、磨いてから家具や床の間などにする。豊富な在庫を抱えてこそ成り立つ高付加価値ビジネスである。
だが34年の室戸台風が再び災厄をもたらす。「旭川があふれ店は背よりも高い水につかり、貴重な木が流出した」(淳一郎会長)この時に近所の同業者は廃業するか転出した。試練はさらに続き、45年の岡山空襲で店は焼失、蓄えた銘木もほとんどが灰になった。
度重なる災禍。それでも洋一郎氏はくじけず、戦後になって再び銘木の買い付けを始め、現在に至る。いま事業の生命線である買い付けは淳一郎会長と11代目の中塚利信社長が担う。その一方で瀬戸大橋を渡り、対岸の香川県坂出市にある企業に営業攻勢をかけたり、銘木を洋風住宅に合う特注のテーブルや家具に加工し、納める仕事を伸ばしたりすることで、業容の拡大を図っている。
中塚銘木店にはもう一つ課題がある。木の文化をいかに継承していくかだ。毎年10月に社会見学で30~40人の小学生がやって来るのを受け入れているが、「そのうち木の柱に見える家に住んでいる生徒が3人程度しかいないことに衝撃を受けた」と利信社長は話す。住宅の洋風化で和室が減ったからだ。
「松の柱は掃除のときにからぶきしてやれば年とともに美しいあめ色になる」。利信社長は子どもたちにそんな話を聞かせ、木に対する認識を変えていく地道な取り組みも続けている。
(編集委員 竹田忍)
銘木・木工芸品・木製家具・建築用木材・ウッドデッキの「いい銘木店」中塚銘木店