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 >  > 2012年12月

「Osera(オセラ)No.61 初春号」で紹介されました!

(2012年12月25日)
「Osera(オセラ)No.61」(2013年初春号 / :(株)ビザビ リレーションズ)

【掲載メディア】「Osera(オセラ)No.61 初春号」

【掲載日】2012年12月25日発行

【タイトル】一〇〇年以上、の営み

【内容】

「ずっと」という偉業は、日常の濃やかな営みに支えられてこその、結果。
そして、同時に起業時や節目における決断の連続の、その未来の形でもあるだろう。
働く人々の気概や情熱の歴史や物語を内包し、一〇〇年以上、という時を超えて今ここに在る、岡山の店や企業の営み。

暖簾を守り二一〇有余年。年輪刻んだ銘木の魅力伝える。

岡山の「木場」に創業、御用商人の地位を築く。

 旭川越しに烏城を望む石関町(岡山市北区)界隈は、川が湾曲して流れのスピードが落ち、適度に潮の干満もある。江戸の頃より、中国山地から切り出された材木がイカダに組まれ、川の流れで運ばれて集積する、いわゆる「木場」であった。県北・勝山などで伐採されたスギやヒノキの丸太は、旭川を約一週間かけてゆっくり下ってこの地へとたどり着き、潮の干満に合わせて浮き沈みしつつ川面を覆っていく。丸太を係留するに最適なこの場所に目をつけた数軒の材木商が、当地で営みを始めていた。そのうちのひとりが、備前福岡(現・瀬戸内市長船町)を出て店を構えた中塚銘木店の創業者・利右衛門である。当時の屋号は津崎屋。創業は享和元年(一八〇一年)八月とされているが、実はこの年は、利右衛門の没年だと現会長の中塚淳一郎さん(八三歳)は明かしてくれた。「本当はこれよりずっと以前から暖簾を掲げていたはずですが、岡山空襲で記録が焼失して実際の創業年はわからず・・・。やむなく没年を創業年に定めたのでは?」。ともあれ一等地に店を構えた利右衛門は、持ち前の商才を発揮し、岡山藩の御用商人として現在まで二一二年、一〇代続く材木商の基礎を固めていく。
 明治維新の波が押し寄せたのは、五代目・利惣治の時。文明開化の鐘が鳴り、洋風文化にさらされた日本人の衣・食・住は大きく変化。建築ブームとなり、材木の需要が一気に増えたことで、「津崎屋」の経営も順風に乗った。屋号も明治初頭まで「津崎屋」を通すこととなる。

苦境も乗り越え、特需に学んだ教訓。

 「歴代のなかでも最も精力的に事業を拡大したのは、七代目・中塚傅五郎でしょうね」と淳一郎さんは言う。まず旧専売公社のたばこ工場建設用に大量に材木を納入し、実績を上げる。明治後期には、日清・日露両戦争で勝利を収めて勢いに乗る陸軍が、明治四〇年(一九〇七年)、御津郡伊島村津島(現・岡山市北区津島)の田んぼに第一七師団を設置する情報をキャッチ。「一師団分の司令部、兵舎、病院などの建物を建設するのであれば、大量の材木の発注があるはず」と見込んだ傅五郎は、同業者と共同出資し、蒸気機関を動力とした製材機を導入。職人も多数雇って用材の納入に対応し、大量の注文をこなした。しかしよいことばかりは続かぬもので、大きな災厄が同社を襲う。この膨大な受注をまかなうために、秋田県まで杉の買い付けに行かせた船二隻が不運にも台風により沈没。すべてを失ってしまう。さらに大正二年(一九一三年)石関町の製材所付近から失火し、県内初という新鋭の製材所と倉庫の一部が焼失。順調に進んでいた商売は一転、巨額の債務を負うことになる。中山下一帯に六〇軒近くの借家を持ち、その一角が「中塚町」と呼ばれるほどの興隆ぶりだったが、それも人手に渡さざるを得なかった。この時が同社の歴史上最大の苦境であり、店舗を除くほとんどを失い破産寸前となる。傅五郎が艱難辛苦に耐え、八代目の利三郎とともに事業を立て直す。だが、その利三郎は大正一四年(一九二五年)に四一歳の若さで死亡。未亡人となった妻・くまのが、焼失した後の本宅や倉庫を建てるまで、苦労して経営に奔走したことを淳一郎さんは伝え聞いている。そして昭和の初めに、くまのの娘婿として洋一郎が養子に入り、経営を受け継いでいく。

銘木販売に光明を見出す。

 九代目・洋一郎は、痛手を負った傅五郎から「請負いは並の人間ができることではない。製材を手がければ請負い工事にも踏み込むことになる。だから製材には手を出すな」と毎日のように聞かされ、「地道な商いが第一」と教えられてきた。岡山市内に同業者が一〇〇軒近くに増え競争が激化するなか、洋一郎はその教訓を守り、一般の建築用材より高級品である銘木販売に特化するのが得策と考え、現在の当社の礎となる銘木販売へと舵を切る。「銘木」というのは大正時代に生まれた言葉で、たとえば神代スギや屋久スギ、吉野スギ、青森ヒバ、ヒノキ、ケヤキ、クリなど、品格があり、鑑賞的な価値を持つブランド木材のことを指す。全国の銘木を豊富に蓄えた当社の噂は職人を通じて広がり、県外からも倉庫を見るため客が訪れるように。
 そんな洋一郎の代にも次々と災厄に見舞われる。昭和九年(一九三四年)の室戸台風では目の前の旭川が氾濫。店は浸水し、貴重な木が流出してしまう。第二次世界大戦中は、銘木は贅沢品とみなされて統制の対象となる。昭和一六年(一九四一年)には「岡山県木材株式会社」が設立されて業者は統合され、個人経営が認められないことに。洋一郎もこの会社の一員とならざるを得なかった。ヒノキや桐などの銘木でさえも、飛行機や船舶の用材に使われる「ただの木」とみなされる哀しさ。「銘木であることに意味がなく、買う人もいない時代」と洋一郎は嘆いたという。追い打ちをかけるように、室戸台風から十一年後の一九四五年、今度は岡山空襲で店が焼失。在庫の銘木は灰と消えた。立て続けの災厄にもかかわらず、洋一郎は強い意志と精神力で、戦後再び銘木の買い付けをコツコツと始め、一九四七年に社名も「中塚商会」から「中塚銘木店」に変更。みごとに会社の復興を果たしてゆく。

堅実な商いに徹し、永代の信頼を勝ち得る。

 昭和初期の頃、塩業や繊維業で財を成した児島・倉敷の裕福な商人は、豪壮な数寄屋建築の屋敷を好み、棟梁や施主が材木の品定めによく訪れるようになる。「高価に驚くなかれ」という強気の看板を掲げていた同業者もあったのもこの頃。「三代で一軒建てるという感覚。だから一〇〇年保つよい材料をこちらもお勧めしました」。仕入れは目利きの業者に任せているが、淳一郎さんが自ら東北などまで出向くこともある。価値ある銘木を見極めると、原木で購入する。委託先での製材を経て自社倉庫で長期間保管して乾燥させる。倉庫では、金額に換算すると驚くほどの各地の銘木が「嫁入り先」を待っている。父・洋一郎の元で一〇代の頃から銘木について学んでいた淳一郎さんは、大阪や京都の集積地から運ばれてくる材木の荷を、父と一緒に夜通し下ろした思い出を持つ。「売った後で狂うたり割れたりするような木を売るわけにはいきません。『中塚で買うた木は間違いねぇ』と今では長年のご信頼いただいています」と淳一郎さん。
 しかし高度成長期以降、鉄筋やプレハブ構造の住宅が増え、伝統的な和風木造住宅の数は年々減少。間取りから和室が消え、畳の上でなくイスに座る生活で、一枚板の座卓は置く場所すらなくなりつつある。現在、淳一郎さんの息子で社長を務める十一代目の利信さん(五五歳)は、そうした需要の変化に対応するべく、銘木を洋風住宅に合う特注のテーブルや家具に加工した商品の販売に、新たな方向を見出している。

命宿る銘木の魅力、次世代に伝え続ける。

 木を扱う業界として今当店が力を注ぐのは、木の文化を次世代に伝えていく活動。毎年一〇月には小学校の社会科見学を受け入れている。「木が持つ自然な温もりや優しさを大事にしていく気持ちを育んでいきたいと思っています。どこよりも長く銘木を扱ってきたという自負を持ち、長い年月を経てきた樹木のよさを伝えていきたい。倉庫には何十年も眠っている『銘木』もありますが、どの木にも命が宿っています。心を込めて大事に扱い、喜んでくださる方の元へ届けられるよう努力して参りたいのです」と利信さん。

希少価値のある黒柿原木が本店倉庫で製材を待っている。年輪のある断面のくっきりとした文様の美しさが銘木選びの決め手。

「在庫は宝」と常々考えている現会長・中塚淳一郎さん。本店の倉庫には何十年も寝かしている天井板や床柱も。

本店倉庫2階には一枚板の座卓などに使われる銘木が。銘木は1・2階のほか西川原の展示場にも保管されている。

神代スギ、吉野スギ、屋久スギ、青森ヒバなど、床柱や床板、天井板として使われる日本各地の銘木は本店倉庫で保管。

2011年6月に始めた貸しスペース「銘木ばぁ」。クリの一枚板のカウンター、ケヤキ・クリのテーブル。バーや喫茶として利用されることも。

有限会社 中塚銘木店
岡山市北区石関町6-6 電話 086-225-0755
https://e-meiboku.co.jp/
1801年に『津崎屋』の屋号で創業。材木商として設立し、現在は銘木をメインとした一般建築用材、家具材などを販売する県内では数少ない銘木取り扱い店。床柱、床板、天井板、造作材など約数千点の銘木を在庫し、全国から引き合いがある。建設会社、工務店向けの卸売りのほか一般ユーザーにも販売。木に関する問合せや新築増改築に関する相談にも応じている。資本金2000万円、従業員数6人。
■参考文献/『岡山木材史』(金谷正之・著 岡山木材協同組合・発行 1964年)

(文/中原あゆ子)


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