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岡山商工会議所会報「glocal vol.230 2013年7月号」で紹介されました!

(2013年07月01日)
岡山商工会議所会報「glocal vol.230」(2013年7月号 / :岡山商工会議所)

【掲載メディア】岡山商工会議所会報「glocal vol.230 2013年7月号」

【掲載日】2013年7月1日発行

【タイトル】老舗企業の大黒柱

【内容】

このコーナーでは、創業100年以上の老舗会員企業に、その会社を支えてきた「大黒柱」(人、家訓、商品等)とは何かを聞き、時代を超えて歩み続けて来られた秘訣を探る。

(有)中塚銘木店

積み重ねてきた「宝」の山を財産に「適材適所」の提案を続ける銘木専門の材木店

事業内容 建設材料・木工芸材料 卸・小売
住所 岡山市北区石関町6-6
TEL 086-225-0755
代表者 中塚利信
創業 享和元年(1801年)
従業員数 6名
資本金 2,000万円
URL http://e-meiboku.co.jp/

度重なる災禍を乗り越えて200年

 岡山の歴史と文化の中心地、岡山城・後楽園周辺には美術館や市民会館などの文化施設が多く集まり、「岡山カルチャーゾーン」とも呼ばれている。その一角、後楽園を旭川越しに望む石関町に(有)中塚銘木店はある。掲げられた看板には達筆で「銘木」と書かれている。
 旭川が大きく湾曲するこの場所は、江戸の頃から県北で切り出した木材が筏で流れ着く集積地として賑わい、川筋に10軒前後の材木店や製材所が立ち並んでいた。同社はそのうちの一軒として、享和元年(1801年)「津崎屋」の屋号で創業。以後今日まで続く212年の長い歴史は、決して順風満帆ではなかった。大正時代に火災で製材所と倉庫を一部焼失し、昭和9年の室戸台風では水害に遭い木材を流出。さらに昭和20年の岡山空襲では本店の一部を残しほとんどが焼失した。度重なる災禍や川でなく道路を使った流通環境の変化等により、同じ地区の同業者が撤退していくなか、戦後再び地道に材を集め続け、今や数千点の銘木を抱えるまでに至った。

「間違いのないもの」を提供し信用を得る

 建築用木材を扱う同社では、特に「銘木」と呼ばれる、観賞的価値の高い高級木材に力を入れている。しかし近年、家を建てる世代が20~30代と低年齢化し、住宅の洋風化で和室のない家が増えたことから、主に座敷や床の間の柱、天井板などに使用される銘木は市場自体が縮小気味。その中で、同社が変わらず重視しているのは「間違いのないものを提供し、信用を得る」ことだという。
 徹底しているのは、仕入れた木を最低3年間自然乾燥させてから販売すること。原木から製材したばかりの木材は水分を多く含むため、乾燥させると板目の方向で最大4%程度縮む。木によっては歪み、曲がり、ヒビが入るなどのクセが出ることがある。保管状態にも気を遣い、仕入れから販売まで時間がかかるが、「クレームで信用を害してはならない」とベストな状態で販売することにこだわる。
 木材選びの要となる、クセが出にくい木を見極める目は長年にわたって鍛えらえれ、各代へと受け継がれている。その感覚は言葉ではうまく伝えられないとしながらも、会長の中塚淳一郎氏は「我々の間では木筋(きすじ)や木味(きあじ)と言いますが、木の色味、クセ、木目のバランスなどを総合した性質の良し悪しを見極めることが肝要。3代もつ家づくりには良い木が欠かせない」と語ってくれた。

仕入れ先との3代続く信頼関係

 本社と西川原の倉庫には天井いっぱいの木材が所狭しと並び、関西や中四国エリアではどこにも負けない品揃えだと自負する。樹齢200年以上の木は年々減っているため、今手元にある銘木はまさに「宝」。特に揃いの良い天井板を扱うところは少なく「ここでしか現物を見られない」と訪ねてくる人もいる。
 ここまでの集積は「仕入先を大事にしろという先代の言葉を守ってきた」ことにあるという。現在も主な仕入先は県外にあり、いずれも3代に亘(わた)る長い付き合いがある。「欲しい時に欲しい木は手に入らないので、良い物が市場に出てきた時に買ってストックしておくのが基本。仕入先もこちらの好みをよく知っているから、"いい木が入った"と連絡があればすぐに送ってもらうこともある」と中塚会長。長年かけて築いた強固な信頼関係の上に、今がある。

経験と「宝」を生かし、3代もつ家づくりを

 業者への卸が中心だが、見学はもちろん小売も可能。最近は無垢材のテーブル、カウンター材など銘木を活かした家具類が若い世代に人気で、社長の中塚利信氏は「自然の味を楽しみたい本物志向の人が増えている」とみて、新たな顧客層として注目している。「ありがたいことに同業者からは"困ったら中塚に行け"との声も聞こえ、人脈を頼って来られる方もいる。困ったとき気軽に声をかけてもらえる店にしたい」と中塚社長。2年前には女性建築士からのアドバイスで倉庫を改装し、飲食ができる貸しスペースとして営業を始め、気軽に木の良さを感じてもらえるよう工夫を凝らしている。
 銘木を販売する上で大切なのは「家とのバランス、調和」を考えること。実際の使用状況や予算を考えると豪華すぎてもいけない。長年の経験と「宝」の山を生かし、3代使える家を一軒でも増やすため「適"材"適所」の提案を続ける。

倉庫を案内してもらうと「これはいつどこから仕入れたどんな木で・・・」と一本一本の木からエピソードが溢れ出す。在庫情報はすべて会長の頭の中に詰まっているという。

本社と西川原の倉庫で大量の木材が出番を待つ。防腐防蟻10年保障つきのウッドデッキの販売にも力を入れており、西川原(就実大学北側)の常設展示場で日中は自由に見学できる。

レンタルスペース「銘木ばぁ」 平成23年にオープンしたキッチン付き貸し会場。クリの一枚板のカウンターや木目の美しいケヤキのテーブルなど銘木をふんだんに使った、木の香りが漂う上質な空間が心を和ませる。貸出には紹介者が必要。


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「Osera(オセラ)No.61 初春号」で紹介されました!

(2012年12月25日)
「Osera(オセラ)No.61」(2013年初春号 / :(株)ビザビ リレーションズ)

【掲載メディア】「Osera(オセラ)No.61 初春号」

【掲載日】2012年12月25日発行

【タイトル】一〇〇年以上、の営み

【内容】

「ずっと」という偉業は、日常の濃やかな営みに支えられてこその、結果。
そして、同時に起業時や節目における決断の連続の、その未来の形でもあるだろう。
働く人々の気概や情熱の歴史や物語を内包し、一〇〇年以上、という時を超えて今ここに在る、岡山の店や企業の営み。

暖簾を守り二一〇有余年。年輪刻んだ銘木の魅力伝える。

岡山の「木場」に創業、御用商人の地位を築く。

 旭川越しに烏城を望む石関町(岡山市北区)界隈は、川が湾曲して流れのスピードが落ち、適度に潮の干満もある。江戸の頃より、中国山地から切り出された材木がイカダに組まれ、川の流れで運ばれて集積する、いわゆる「木場」であった。県北・勝山などで伐採されたスギやヒノキの丸太は、旭川を約一週間かけてゆっくり下ってこの地へとたどり着き、潮の干満に合わせて浮き沈みしつつ川面を覆っていく。丸太を係留するに最適なこの場所に目をつけた数軒の材木商が、当地で営みを始めていた。そのうちのひとりが、備前福岡(現・瀬戸内市長船町)を出て店を構えた中塚銘木店の創業者・利右衛門である。当時の屋号は津崎屋。創業は享和元年(一八〇一年)八月とされているが、実はこの年は、利右衛門の没年だと現会長の中塚淳一郎さん(八三歳)は明かしてくれた。「本当はこれよりずっと以前から暖簾を掲げていたはずですが、岡山空襲で記録が焼失して実際の創業年はわからず・・・。やむなく没年を創業年に定めたのでは?」。ともあれ一等地に店を構えた利右衛門は、持ち前の商才を発揮し、岡山藩の御用商人として現在まで二一二年、一〇代続く材木商の基礎を固めていく。
 明治維新の波が押し寄せたのは、五代目・利惣治の時。文明開化の鐘が鳴り、洋風文化にさらされた日本人の衣・食・住は大きく変化。建築ブームとなり、材木の需要が一気に増えたことで、「津崎屋」の経営も順風に乗った。屋号も明治初頭まで「津崎屋」を通すこととなる。

苦境も乗り越え、特需に学んだ教訓。

 「歴代のなかでも最も精力的に事業を拡大したのは、七代目・中塚傅五郎でしょうね」と淳一郎さんは言う。まず旧専売公社のたばこ工場建設用に大量に材木を納入し、実績を上げる。明治後期には、日清・日露両戦争で勝利を収めて勢いに乗る陸軍が、明治四〇年(一九〇七年)、御津郡伊島村津島(現・岡山市北区津島)の田んぼに第一七師団を設置する情報をキャッチ。「一師団分の司令部、兵舎、病院などの建物を建設するのであれば、大量の材木の発注があるはず」と見込んだ傅五郎は、同業者と共同出資し、蒸気機関を動力とした製材機を導入。職人も多数雇って用材の納入に対応し、大量の注文をこなした。しかしよいことばかりは続かぬもので、大きな災厄が同社を襲う。この膨大な受注をまかなうために、秋田県まで杉の買い付けに行かせた船二隻が不運にも台風により沈没。すべてを失ってしまう。さらに大正二年(一九一三年)石関町の製材所付近から失火し、県内初という新鋭の製材所と倉庫の一部が焼失。順調に進んでいた商売は一転、巨額の債務を負うことになる。中山下一帯に六〇軒近くの借家を持ち、その一角が「中塚町」と呼ばれるほどの興隆ぶりだったが、それも人手に渡さざるを得なかった。この時が同社の歴史上最大の苦境であり、店舗を除くほとんどを失い破産寸前となる。傅五郎が艱難辛苦に耐え、八代目の利三郎とともに事業を立て直す。だが、その利三郎は大正一四年(一九二五年)に四一歳の若さで死亡。未亡人となった妻・くまのが、焼失した後の本宅や倉庫を建てるまで、苦労して経営に奔走したことを淳一郎さんは伝え聞いている。そして昭和の初めに、くまのの娘婿として洋一郎が養子に入り、経営を受け継いでいく。

銘木販売に光明を見出す。

 九代目・洋一郎は、痛手を負った傅五郎から「請負いは並の人間ができることではない。製材を手がければ請負い工事にも踏み込むことになる。だから製材には手を出すな」と毎日のように聞かされ、「地道な商いが第一」と教えられてきた。岡山市内に同業者が一〇〇軒近くに増え競争が激化するなか、洋一郎はその教訓を守り、一般の建築用材より高級品である銘木販売に特化するのが得策と考え、現在の当社の礎となる銘木販売へと舵を切る。「銘木」というのは大正時代に生まれた言葉で、たとえば神代スギや屋久スギ、吉野スギ、青森ヒバ、ヒノキ、ケヤキ、クリなど、品格があり、鑑賞的な価値を持つブランド木材のことを指す。全国の銘木を豊富に蓄えた当社の噂は職人を通じて広がり、県外からも倉庫を見るため客が訪れるように。
 そんな洋一郎の代にも次々と災厄に見舞われる。昭和九年(一九三四年)の室戸台風では目の前の旭川が氾濫。店は浸水し、貴重な木が流出してしまう。第二次世界大戦中は、銘木は贅沢品とみなされて統制の対象となる。昭和一六年(一九四一年)には「岡山県木材株式会社」が設立されて業者は統合され、個人経営が認められないことに。洋一郎もこの会社の一員とならざるを得なかった。ヒノキや桐などの銘木でさえも、飛行機や船舶の用材に使われる「ただの木」とみなされる哀しさ。「銘木であることに意味がなく、買う人もいない時代」と洋一郎は嘆いたという。追い打ちをかけるように、室戸台風から十一年後の一九四五年、今度は岡山空襲で店が焼失。在庫の銘木は灰と消えた。立て続けの災厄にもかかわらず、洋一郎は強い意志と精神力で、戦後再び銘木の買い付けをコツコツと始め、一九四七年に社名も「中塚商会」から「中塚銘木店」に変更。みごとに会社の復興を果たしてゆく。

堅実な商いに徹し、永代の信頼を勝ち得る。

 昭和初期の頃、塩業や繊維業で財を成した児島・倉敷の裕福な商人は、豪壮な数寄屋建築の屋敷を好み、棟梁や施主が材木の品定めによく訪れるようになる。「高価に驚くなかれ」という強気の看板を掲げていた同業者もあったのもこの頃。「三代で一軒建てるという感覚。だから一〇〇年保つよい材料をこちらもお勧めしました」。仕入れは目利きの業者に任せているが、淳一郎さんが自ら東北などまで出向くこともある。価値ある銘木を見極めると、原木で購入する。委託先での製材を経て自社倉庫で長期間保管して乾燥させる。倉庫では、金額に換算すると驚くほどの各地の銘木が「嫁入り先」を待っている。父・洋一郎の元で一〇代の頃から銘木について学んでいた淳一郎さんは、大阪や京都の集積地から運ばれてくる材木の荷を、父と一緒に夜通し下ろした思い出を持つ。「売った後で狂うたり割れたりするような木を売るわけにはいきません。『中塚で買うた木は間違いねぇ』と今では長年のご信頼いただいています」と淳一郎さん。
 しかし高度成長期以降、鉄筋やプレハブ構造の住宅が増え、伝統的な和風木造住宅の数は年々減少。間取りから和室が消え、畳の上でなくイスに座る生活で、一枚板の座卓は置く場所すらなくなりつつある。現在、淳一郎さんの息子で社長を務める十一代目の利信さん(五五歳)は、そうした需要の変化に対応するべく、銘木を洋風住宅に合う特注のテーブルや家具に加工した商品の販売に、新たな方向を見出している。

命宿る銘木の魅力、次世代に伝え続ける。

 木を扱う業界として今当店が力を注ぐのは、木の文化を次世代に伝えていく活動。毎年一〇月には小学校の社会科見学を受け入れている。「木が持つ自然な温もりや優しさを大事にしていく気持ちを育んでいきたいと思っています。どこよりも長く銘木を扱ってきたという自負を持ち、長い年月を経てきた樹木のよさを伝えていきたい。倉庫には何十年も眠っている『銘木』もありますが、どの木にも命が宿っています。心を込めて大事に扱い、喜んでくださる方の元へ届けられるよう努力して参りたいのです」と利信さん。

希少価値のある黒柿原木が本店倉庫で製材を待っている。年輪のある断面のくっきりとした文様の美しさが銘木選びの決め手。

「在庫は宝」と常々考えている現会長・中塚淳一郎さん。本店の倉庫には何十年も寝かしている天井板や床柱も。

本店倉庫2階には一枚板の座卓などに使われる銘木が。銘木は1・2階のほか西川原の展示場にも保管されている。

神代スギ、吉野スギ、屋久スギ、青森ヒバなど、床柱や床板、天井板として使われる日本各地の銘木は本店倉庫で保管。

2011年6月に始めた貸しスペース「銘木ばぁ」。クリの一枚板のカウンター、ケヤキ・クリのテーブル。バーや喫茶として利用されることも。

有限会社 中塚銘木店
岡山市北区石関町6-6 電話 086-225-0755
http://e-meiboku.co.jp/
1801年に『津崎屋』の屋号で創業。材木商として設立し、現在は銘木をメインとした一般建築用材、家具材などを販売する県内では数少ない銘木取り扱い店。床柱、床板、天井板、造作材など約数千点の銘木を在庫し、全国から引き合いがある。建設会社、工務店向けの卸売りのほか一般ユーザーにも販売。木に関する問合せや新築増改築に関する相談にも応じている。資本金2000万円、従業員数6人。
■参考文献/『岡山木材史』(金谷正之・著 岡山木材協同組合・発行 1964年)

(文/中原あゆ子)


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銘木ばぁが「月刊プラザ岡山vol.234」で紹介されました!

(2012年06月06日)

岡山人の生活情報誌「月刊プラザ岡山vol.234」(2012年6月号 / :(株)オークシード)

【掲載メディア】岡山人の生活情報誌「月刊プラザ岡山vol.234」

【掲載日】2012年6月1日発行

【タイトル】暮らしと住まい 銘木を体感できるレンタルスペース

【内容】

やわらかで温かでありながら、強くてたくましい。木の本質をまるごと体感できるこんなスポットが、岡山市内にあります。オーナーの木への愛情、リフォームを手掛けた建築家の想いが垣間見える場所へ、ようこそ。

気の温もりを感じる隠れ家

夕暮れどき。後楽園や岡山城を見渡す川沿いの一角に浮かび上がる、ほの明るい光。ガラス越しに中をうかがうと、木のカウンターやテーブルがひしめく小さな空間には、お酒や食事を楽しむ人の姿が見えます。実はここ、銘木が体感できるレンタルスペースなのです。
もともとは住宅建築用の銘木を販売する「中塚銘木店」のショールームでしたが、半ば倉庫と化していました。最近では合板の激安家具ばかりが注目され、銘木の良さを知る機会も銘木を使った家具にもなかなかお目にかかれなくなっています。「こんなに素敵な場所とものがあるのにもったいない。銘木を実際に使用し、その良さを知ってもらえる場所になれば」と、建築士の横田都志子さんが、インテリア設計をして「銘木ばぁ」として生まれ変わらせた空間なのです。銘木が一目に触れる仕掛けとして自ら乗り出して月に数回「銘木ばぁ」のママもしています。
 室内は、カウンターとテーブル席を合わせて17名ほどが入れる程の大きさ。まず目に入るのは木目が美しい一枚板で出来たバーカウンター。そして荒々しい木目が個性的なケヤキのテーブル、くりの木で出来た掘りごたつテーブルなど全て銘木を使用。銘木に囲まれながらグラスを傾けると木の質感、心地よい木の香りや空気感に囲まれ、なんとも良い気分です。

見て触れて親しむ、銘木の魅力

「銘木とは形や色、光沢や木目などが特に美しい貴重な木材のこと。重厚で効果なイメージがあるかもしれませんが、家具やインテリアに使えるものもあるということを知ってほしかった」と語るオーナーの中塚利信さん。何より商品としてでなく「バーやカフェとしてのスペースの中で実際に素材の使い方を展示し、自ら銘木に触れてもらえるショールーム」にしたことで、ここを訪れた人たちを中心に銘木への関心が高まればいいと―。「木にはほっとリラックスさせる力が宿っている」そう思わずにはいられない、アットホームな空間です。

岡山市北区「銘木ばぁ」

【設計】unita設計室
赤磐市桜が丘東3-3-794
TEL:086-995-3639
http://unita.jp/

【施工】中塚銘木店 岡山市北区石関街6-6
TEL086-225-0755
http://e-meiboku.co.jp/


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2012年6月2日16時から放送!OHKニョッキンのつきイチの取材を受けました!

(2012年05月17日)

「OKHニョッキンのつきイチ」の取材を受けました!ぜひご覧ください!

【放送局】OHK(岡山放送)

【放送番組】ニョッキンのつきイチ

【放送日】2012年6月2日(土)16:00から(再放送:6月6日(水)深夜1:10~)

【番組内容】

目指せ!城内エリアの裏通

岡山城周辺を神谷アナと淵本アナが、岡山を知り尽くしている青山融さんと歩きつくす!

●裏路地で見つけた岡山弁
●あなたもきっとハマる裏路地観察
●人気和食店の裏メニュー
●建築士の裏の顔

「OKHニョッキンのつきイチ」


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銘木ばぁが「朝日新聞」で紹介されました!

(2012年04月29日)

銘木香るバー貸します 岡山の老舗高級木材店 「飲みながら 魅力感じて」(2012年4月29日 / :朝日新聞)

【掲載メディア】朝日新聞

【掲載日】2012年4月29日

【タイトル】銘木香るバー貸します 岡山の老舗高級木材店 「飲みながら 魅力感じて」

【内容】

岡山市内の老舗高級木材店の一角が、飲食店風に改装されて貸し出されている。木の香りが漂う空間の魅力を多くの人に体験してもらい、木の魅力を再認識してもらおうという試みだ。

夜、「中塚銘木店」(北区石関町)の倉庫の窓越しに、杯を酌み交わす男女の姿が浮かび上がった。室内にはクリの一枚板を使ったカウンターや、ケヤキのテーブルなどがしつらえている。貸しスペースの名前は「銘木ばぁ」。
市内の会社員市原裕貴(ゆたか)さん(32)は「木の香りが気持ちよく、お酒が進みます」と相好を崩した。
法被姿で「バー」を切り回すのは横田都志子さん(46)。「昼間の顔」は市内に事務所を構える建築士だが、「バーなどの設計を手がけるうちに、自分もやりたくなって」。月に3日、ここを借りてバーを開く。

住宅向け高級木材を扱う中塚銘木店は、展示場に使っていた倉庫内の5坪ほどのスペースにキッチンや食器棚を整え、昨年6月に「銘木ばぁ」をオープンさせた。「ばぁ」は「バー」と岡山弁の「~ばかり」をかけた。パーティーや懇親会にも利用されている。

享和元(1801)年の創業で、和室の床柱などを多く扱うが、近年、和室用銘木の需要は下り坂という。中塚利信社長(55)は「飲食などを楽しみながら、銘木の魅力に親しんでもらえたら」と話す。

利用料は、基本料金2,625円と1時間あたり525円(光熱費など込み)。貸出時間は9時から24時。飲食物の持ち込み自由。ただし利用には原則として紹介者が必要。問い合わせは中塚銘木店(086-225-0755)へ。

(柏崎歓)


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お問合せ

有限会社中塚銘木店
〒700-0813 
岡山県岡山市北区石関町6-6
TEL:086-225-0755
FAX:086-232-7074
otoiawase@e-meiboku.co.jp

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